個人のグローバル化、にあたっての障害。
こんばんわ。@konimaruです。だいぶだいぶ久方ぶりの更新であわやブログがインターネッツの海の中をさまよう藻屑となりそうな勢いでしたが、その細ーい糸をたぐり寄せてなんとか岸まで引き戻して今現在更新をしようと思っているわけです。いや、このところ以前のエントリーで書かせていただいた通り色々ありましたのでなかなか更新する暇も気力も失せていた次第ですがこれからまた頑張って不定期的に更新を続けて行きたいと思いますよ。
それはそうと、先日まさにこのはてなブログを提供しているはてな社に応募してみようと思い採用情報を見ると丁度私の職種の募集が出ておりましたのでドキドキしながら職務経歴書等を指定のメールアドレスに送ってみたところ・・・なんと今現在も音沙汰なしです。一週間程経過したのち、アレおかしいな?届いていないのかなと思い再度指定のアドレスに送信をいたしましたがこれも返答なし。電話をしようと電話番号を調べてもどこにも掲載なし。ということで1ヶ月程経過いたしましたが、どうやら書類選考で落ちた方には連絡もなしでスルーする会社のようですのでそっとしておこうと思います。
ようやく本題となりますが、今日も直接業務と関係のないところのアイデアレベルの妄想話になりますが、
海外旅行をしたことは皆様おありでしょうか?もはや一昔前グローバルグローバルと、燃え盛る炎のごとく騒がれていたのが昨今の日本と近隣諸国の関係で少し鎮火しているようにも思えますが、かくいう私も過去の会社では営業成績がトップになった表彰的な感じで、取引先のキャンペーンでワイハに連れて行ってもらい接待をしていただきました経歴がございます。それに加えプライベートでもグアムに一度。両方とも海メインで、日本人わんさかおるとこばっかりやん!というツッコミはなしにしていただきまして、どうぞ生暖かい目で見守っていただきたいところであります。ですがやっぱり、海外旅行となるとそうした誰もが知るところ以外、日本人がわんさかいるところ以外の地域をフラっと旅して初めて「俺海外旅行した!」と胸を張って言えるのでは無いかと思う今日このごろなのですが、そう思っている方はかなりの数いらっしゃるのではないでしょうか?
海外旅行の敷居は企業にとってもそうですが、個人にとっても当然敷居が依然高いわけです。その原因は何かというと言葉の壁を含め「不安」があるから。その不安をさらに掘り下げると、治安をはじめ、安全大国である日本との様々な文化的な違いが挙げられます。
言ってしまえば、文化が違うということは常識が違うということ。私達の考えている常識が、他国では通用しない可能性もあるわけです。
よく海外に行かれる方の話を聞いていると共通しているところが、「海外に知り合いがいる」ということを耳にします。いいよなぁ、そりゃ海外に知り合いがいれば気軽にいけるわ。ちょっと遠いお友達の家に行くって感じで気取って言ってんじゃねえぞコノヤロウ羨ましいなぁほんと。なんて思ったりするわけですが、
要するにそういうことです。つまり海外に知り合いがいれば不安がかなりの勢いで軽減されるということです。しかしいきなり海外に行きもしないでお友達を作るわけにはいかないし、仮にできたとしてもfacebook等で知り合った関係の方に根堀り葉掘り聞くのも限界があるので、専用の場を設ける形になるかと思いますが、こんなサイト・サービスはいかがでしょう?
各国のパーソナルな大使館?的な役割のサイトで、海外に行きたいけど不安を持っている人と、その国に住んでいる「日本人」の方とをつなぐことができるプラットフォーム。
同じ日本人であれば、言葉の壁も関係なく安心して質問をする事ができるし、こちらが抱く不安や、こちらの考え及ばないことまでをもアドバイスをしてもらったり等もできるのではないでしょうか?
教える側のインセンティブ?それは…そりゃあ様々にあるでしょうよ!
すみません。まだ考えておりません。
しかし、着眼点は良いのではないでしょうか?まだまだ詰めて考えることができておりませんがうまくいくと、海外への渡航者も増えそうな気がしないこともないのかな〜と思わなくもないなんとも曖昧な感じになっております。
始業時間がどこも同じという悪しき習慣にメスを入れたい件。
こんばんわ。パズーです。嘘です。@konimaruです。今日は通勤電車の話になりますが、
現在の私の仕事は10時の出社になりますので、始発駅ではないものの出勤時の電車はガラガラで、席で寝転ぶくらい余裕でできるくらい席が空いています。しかし、たまに朝早く用意が済み、今日は早く出勤して仕事のひとつふたつサクっと終わらせようかなぁ〜と意気込み早めの電車に乗ろうとするとガチ混み。同じ駅からの同じ行き先の電車のはずが、9時出社のサラリーマンたちの戦場で、いつもの優雅な私の朝の通勤がとてつもなくむさ苦しい朝にとたんに変化してしまうわけです。少し早く出勤して〜とやる気を出すとこの始末。そんなアホな。頑張る気持が損を生む、正直モノが馬鹿を見る、完全に損した気持になりそりゃ心も荒みますほんとに。
で、この際私は世の中の会社に言いたいわけですよ。例外もありますが、ほとんどの会社が9時とかの出勤時間じゃないですか。それ少しズラしませんか?と。幾つかのグループにわけて。ハイこちら様グループは朝は何時から、ハイあちら様のグループは朝8時から。という感じで。だって終電の時間も伸びるっていう話じゃないですか。
え?その会社だけじゃなくて顧客の都合や取引先の都合などと合わせるためにそうなんですよって?いやいやいやいや。
例えば銀行を例に取りましょうか。一言で銀行といっても様々な銀行がありますが現状では平日15時に窓口が閉まるわけですよ。全銀行が申し合わせたかのように一斉に。公務員かっつーの。完全に不便じゃありませんかね?私は覚えていませんがこれで不便を被ったことが何度があるような気がしています。お客さんとしても各銀行時間がズレていたほうが何かと便利に違いないでしょう普通に考えて。
取引先と時間があわない?何も完全に深夜帯までズラせと言ってるわけじゃなく、何時間かはクロスオーバーする時間帯はあるはずだから互いにその時間にあわせりゃいいでしょう。
そもそもさぁ、コンビニなんかを除いてほとんどのお店が、例えば服屋なら20時くらいに閉まるわけですよ。そんな服屋で平日仕事帰りに買って帰ろうかと思うと19時くらいには仕事を終える必要があるわけですよね、そんな残業もクソも無い仕事って今の時代非正規の雇用しかないんじゃねーのと思うわけです。普通の社員で定時きっかりに帰ることができる職種なんてなんてバブリーなのか倒産寸前なのかやる気の無い社風に管理職の皆さんが頭を抱ええている会社なのかってとこじゃないでしょうか。少なくとも私の職種じゃ無理です。仕事帰りに服屋に寄りたくても寄れない。かといって休みの日に自分の用事だけでこんなとこまで出てくるのも面倒だし時間もないし子どもたちと遊びたいし。でもECサイトなんかで買うとなるとシャツくらいならいいけどジャケットなんかのアウターはさすがに試着したいわけで買いたくても買えないわけで。というかオフィス街にある服屋で20時閉店するってどーなの?一体誰をターゲットにしているんでしょう。仕事中に服買う人ってそんなにいるんでしょうか??
ということで服屋さんは私という、もう水面から顔を出して素手でも掴めそうな感じの魚がすぐ後ろにいるにもかかわらずそれに気づかず他の釣り師も多く糸を垂らしとる別の方向にアホみたいに同じように糸を垂らしとる現象なわけです。これって世界の悪しき習慣以外の何者でも無いのではないでしょうか?
まぁ完全に治安の悪い諸外国ならともかくこの日本ですから。しかもこれが実現すると他の店も空いとるところが多々あるわけですから、安全面では全くもって心配いりませんでしょう。
現在景気がよくなってきたGDPがどうのなど言われているものの実感としてはまだまだ先。全然変わっているようには思えないじゃない。これが例えば実現すれば消費がもっと増えるようになるんじゃないかなぁ、と思う今日このごろです。
まぁでも仮に私の会社が今の10時出勤から7時出勤に、3時間早まったとしても終業時間はいままで通りなんでしょうけれども。アーメン。
職場のボスの転職について。
どうもこんばんわ。@konimaruです。久方ぶりの更新でございます。ブログを始めた当初はどんなに忙しくても一週間に一度はかならず時間をとって更新するぞと決意したのですがいとも簡単に揺らいでいるどころか崩れて原型もとどめておらず本人もさほど気にしていないという荒廃しきった北斗の拳の町並みのようになっている今日このごろです。
いや、驚いたのなんのって、職場のボスである支店長の転職ですよ。社内でいち早く本人からそれをエレベーターの中で聞いたのですが驚き桃の木20世紀なんつってだいぶ心の想い出の奥底でそれほど愛着もなく死後何十年と経過したギャグが心のなかで砲火した感じです。
とはいっても、以前から転職しようかなという話は聞いておりましたが、実際年齢が年齢だけにそう簡単にできないだろうと思ってそれほど実現することでもないかなぁと思っていたのですが、ついに現実となってしまいました。転職とは言っても単純に自分でどこかのエージェントを通して応募して採用決定した、というよりは、現職でのつながりである代理店の担当者が転職され、その会社がちょうど業務の拡大を図っていく矢先ということで丁度そのポジションが支店長の仕事とマッチするものであったのでお声がかかった、という半ヘッドハンティングという感じの移籍になるわけです。
本当にありがたいことに、支店長の直属のチームということで長い間私は仕事をさせてもらってきたので、案件で助けてもらったりアイデアをもらったり、他の人はしてくれない企画書のダメ出しなどもしてくれ更には支店長の娘さんの服や靴のおさがりをもらうなどで社内で一番私がお世話になったといっても過言ではありません。なものですから今回の転職の話を聞いた時にはあまりにも唐突すぎて実感がまったくありませんでしたがこうしてしばらく経過してから考えると、ようやく少しづつ自分の心の中での整理がつき、だんだんと寂しさ、いなくなったあとの不安が募ってくるものですが、それは皆も同じようです。
さすがにイチ社員が転職するとは話が違い、10数年いた方がいきなりいなくなるわけですから当然です。が、寂しさや不安の中、いままで支店長に無意識的に頼ってきた自分たちの甘えや怠惰などとも、しっかりと決別し、またひとつ成長する階段を登れるであろうという希望も同じだけあります。
いなくなるのは9月後半となり、まだ少しその寂しさや甘えと決別する準備期間、というところなのかと感じておりますが、私に求められる役割もこれまでのものから変化が生じてまいりますのでいよいよ頑張らねば、と想う次第であります。
話は変わりますが、その支店長の転職先が事業拡大ということで、なので支店長にお声がかかったわけですが、私の職種も絶賛募集中ということでこれも大変ありがたいことに、一緒に行かないか、というお声がけをいただきました。私自身このブログのエントリーでちょこちょこ書いているとおり今の会社には満足なんてしておらず毎日を全力で自分の為に頑張る傍らスキがあれば他に移籍を考えて居る輩となりますので非常にありがたいお話でした。年収も今よりはそれなりの中古車一台位は上げられると聞いているということなので迷いに迷った挙句に出した結論が、現在会社に残る、という決断でした。
なぜそのような決断をしたのか、という理由を明確にのべようとすると、今現在支店長もまだ社内に居る段階ですので心が揺らぐところは否めませんが、淡々と事務的にメリット、デメリットの話をすると
●現在の会社に残った場合
メリット:
- 支店長が抜けたので役職がついて年収もあがる。(中古車一台買える程度なのかは未定)
- 案件は他のものに任せて自分は新規事業等を考えられる時間を設けられるようになる。
デメリット:
- 自分の仕事だけではなく、管理系の仕事が増え、上層部会議などにも出席せざるを得なくなり精神的にも負担が増える。
- 年収があがる、と記載したが役職がついたが故に不景気にはボーナスが出ない風土があり、差し引きで年収が下がってしまう恐れがある。
●支店長とともに転職をした場合
メリット:
- 中古車一台購入できるほど年収があがる。(確定)
- これまでともに仕事をしてきた支店長と引き続き仕事ができる。
- 新しい部署を作り上げて行くやりがいが期待できる。
デメリット:
- 会社の先行きが不透明。(それは現状でも同じか)
- 現在の会社よりは業界内での知名度が低い。
- 新しい環境に対する面倒くささや不安など。
- 上司以外の人物が経験が少ない人ばかり。
というところだろうか。こう見ると転職した方がいいように思えてまいりましたが、今からでも間に合うでしょうか。すみません、やっぱり僕・・・
ips細胞で不老不死は実現するのか?を少し考えてみる。
先日健康診断だった。
そういえば、去年はBMI値が低すぎて要再検査、と書かれたものが届いて、なにそれBMW?と思って調べて見ると、どうやらコレステロール値が低すぎるということだった。コレステロールが高すぎて健康を害する話はよく耳にしているものの、低すぎてダメってどういうこと?と思ったがどうやら低すぎる状態でも不健康ということらしい。何事もバランスが大事ということなのかと納得しつつ大丈夫だろうということで再検査は華麗にスルーしたのは記憶に新しい。
幸いながらこの歳になるまで大きな怪我というものもいままでなく、思い返すと大怪我っぽいのは、中学の部活の際、校舎の外周をランニングしていた際、帰宅する友人を見かけたので手をふりよそ見をしながら数歩走ったあと、ふと前を見るた瞬間電柱が目の前に出現し、わしゃ人間トンカチかと言わんばかりにハデに頭をぶつけて頭と鼻と口が切れて出血し、病院に運ばれた甘酸っぱい思い出が鮮明に蘇ってまいりますが、そんなこと以外で病院に行ったことといったら、風邪で行く程度だった。でも悲しいかな、これから年齢と共に使い古した車やパソコンのように、部品が痛んで修理が必要になってくるだろう。
何故神は人間、動物だけではなく植物にさえ命を与え、同時に死を与えたもうたのであろう。いつかその真実を私たち人間は知る時がくるのだろうかという事を考えると夜も眠れません。
しかしいつか、いつの日にか、私達の孫の孫の代くらいになった時には、人間は死ぬ、ということを限りなく引き伸ばすことができるようになるのではないか、否むしろ、不老不死も実現できているのではないかと考えてみる。だいぶ映画の見過ぎでSF好きな変な奴の思考とお思いのそこのあなた。何も間違っていません。
となると、どのようなことになるのか。
昨今IPS細胞というものが流行っているようで、自分の皮膚や目や臓器なども細胞ひとつから作り出すことが可能らしいじゃないですか。ではこれで解決、この技術でOk。もう人類は不老不死を手にれたも同然。と思ったそこのアナタ。そう簡単にはコトは運びませんよ。
内蔵の病気などになりました。となると、新しい臓器を培養して入れ替えることはできます。年齢とともにたるんでしわが増えてきた肌を、培養した新しい自分の肌を移植することで実際には50際でも見た目はどう見ても20代、ということも現実になるでしょう。
では、「脳」はどうなりますか?
脳も、年月とともに老いてくるもので、体がいくら20代のように若々しくても、脳がそのままではボケて、いずれ死に至ります。
「え、ちょっとまって、ips細胞で脳も培養したらいいんじゃないの??」
という話が出てまいりますが、理屈としては恐らく脳も細胞からできているものなので、当然培養は可能です。つまり脳自体も作れるということになります。え、じゃあ問題ないジャン!と思ったそこにアナタ。いやいやいやちょっとまってください。
--------
仮にエヌ氏が交通事故にあいます。頭を強く打ち、ハゲしく頭部は損傷。病院に運びこまれ、早速培養することにしました。幸いながら、脳の損傷は少ししかなかったのでいままでの記憶もすっかり同じものにすることができました。そしてついに目覚めました。「あー怖かった!でもこの技術のおかげで助かった!よかった・・・」そして無事退院して、家に帰って、家族に「ただいま!」と元気よく挨拶をいたします。そうすると妻は、喜んでくれたのち、心の中のひとつかみの不安を感じ、エヌ氏にこう訪ねます。
「あなたって、本当にあなたなの?」と・・・
妻は、事故が起こった際、手術前に身元確認のため病院に呼ばれ、損傷したエヌ氏を確認しています。素人が見ても、即死だと判断できるような損傷。しかし、今目の前にいるのは、紛れもない、事故が起きる前のエヌ氏そのもの。エヌ氏はもちろん、
「何いってるんだよ。当たり前じゃないか。おかしいことをいうなぁ。俺がブラッド・ピットに見えるかい?」
「・・・・・・・・」
----
理屈的には、脳も再生することは可能です。つまり脳も体も、作り出すことが可能です。ただ上記のようなケースで、事故前と事故後のエヌ氏が同一人物だと言えるでしょうか?当然本人に尋ねると同一人物だと答えます。そしてそれを疑うことはできません。だって、誰からどう見ても同一人物なんですから・・・
しかしそれを、『証明』するとなるとどうすれば良いのでしょうか。残念ながら、現代の科学では、それを照明することはできないようです。同一人物かどうかというのは、当の本人にしかわからないこと。
愛する妻と子どもに手を振って家を出ていく、その男は果たしてエヌ氏本人なのでしょうか、それとも・・・
・
・
・
と、今回はまたSFチックなエントリーになってしまいましたが、こう考えると、不老不死云々の前に、解決しなければならない課題がありますね。しかしながら、どんなに科学が発達して、人のアタマの中を完全に覗くことができる機械が開発できたとしても、、本人が本人である、ということを証明するには十分でなく、この問題が解けない限り、不老不死を実現することはできない、と言えそうです。
※エヌ氏、という名称は私の尊敬してやまない星新一先生が描く作品の中に登場する人物の名称を拝借しています。
生まれてくる子どもの”顔”を選択できる時代が到来したら。というお話。
こんばんわ。@konimaruです。
今回のエントリーは少し男女差別的な表現を含みますが深意はありませんのでお許しを。また私の妄想的未来的なことなのでそのあたりもご了承ください。
一般的に、異性に魅力的だと思われる条件として、大人の男性なら経済力、女性なら容姿が挙げられることが多いと思います。ざっくりと言うと、男性は中身、女性は外見、といったところでしょうか。日々このようなテーマの記事はおもしろおかしく、話のネタとして尽きることはない程巷に溢れております。私もこのような内容のタイトルのエントリーを発見いたしますとクリックしたりしなかったりしています。
ところで昨今、少子化が完全に社会問題化しているところですが、その原因の大きなところが恋愛ベタをはじめとした異性とのコミュニケーションに起因する問題や、女性の社会進出による影響、若者たちのライフスタイルの変化、などなど様々に論じられております。
で、そこであえてタブーな、各種メディアや良識ある大人であれば論じれないところですが、ふとまわりを見渡してみて皆さん、誰が見ても美人、という人で独身のままでおられる方はまわりにおりますでしょうか?もちろん例外となる方もおられるかと思いますが。また反対にすごく男前な人で、独身のままの人も同じくいないのではないでしょうか。(この場合の男前というのは経済力などではなく、あくまで外見がイケメンかどうか、というところになります)
人間日々成長して、数年前の自分を顧みるとなんて子どもだったんだろう、ということはしばしば経験することがあるかと思いますが、年齢と比例して異性の選定基準として外見ではなく中身を重視するようになる、というところは反論の無いところでしょう。
相手の中身を重視するとなると、たいていの場合、相手がどういう性格で、どういう価値観を持った人なのか、ということを長い時間をかけてコミュニケーションし、理解していく必要があります。
しかしながら現実問題として、相手の第一印象は外見になるわけです。仮に男性も女性も、どれだけ内面が澄んだ川のせせらぎのように透き通っていても、はたまた浄水器を10機くらい通過させた後の水道水くらい毒素の無いものだったとしても、外見がお粗末(失礼!)なインターフェースであればそれでもう無理、ドラマのようには行かず、それでもうステージにも上がることは出来ず、で終わるわけですね。
おとなりの国では、後天的に顔を変える、いわば整形が、子が成人になった祝いに親が手術代を出す、ということも珍しくないそうで、日本に住む私どもの常識からいたしますとおっとっと。という感じでございます。
ここから妄想なのですが、だったら、先天的に顔を変えることができるようなことができればどうだろうか、と考えます。
IPS細胞というキーワードが巷を賑やかしており、人間の生命を作り出すこともできる、神レベルの話にもなっているところですが、であれば人間の顔を先天的に変えられる時代もすぐそこまできているのではないでしょうか。否、もう既に可能かもしれません。
当然倫理的な問題もあり、実現可能性は今のところかなり低いかと思いますが、経済力などは後天的にいくらでも自分の努力で変えようと思えば変えられるわけですが、外見自体は整形をする以外に変えることは不可能なんて、うまれつき差があるなんて、なんだか差別的な、そもそもおかしな話だという議論も巻き起こってしまいそうです。
もしこれが実現した社会を想像すると、少しぞっとしてしまいますが、
夫婦が結婚して、奥様が妊娠しました、病院に行きますと、おめでたですね、という話になります。
それに続き、
「生まれてくる赤ちゃんのお顔ですが、次のうちどれになさいますか?」
という問いかけが、病院の先生のとなりにいるカウンセラーからなされ、続いて、
「今の流行は、こんな感じで、目は奥二重、少しキリリとした感じで、芸能人でいうと黒木メイサさんのようなお顔がよく選ばれていますよ。」
なんて話がなされます。
そして今すぐには決められないので、いつまでに考えておいてください、ということで、”フェイスカタログ”なんてものを渡されます。もちろんURLが記載されていてネットでも閲覧することができます。家に帰り、新たに父母となる二人は晩御飯を食べたあと、ゆっくりとそのカタログを開いて生まれてくる我が子の成長した時の顔を吟味する・・・
おーこわ。おーーーこわ。常識というのは時代とともに常に移り変わっていくものではありますが、さすがにこれがスタンダードになったら怖いなぁ、と思う次第でございます。
数十年後には、道を歩けばキムタクの顔をした男性が大勢・・・その隣を見ると浜崎あゆみの顔をした女性がたくさん・・・(古い!)という状況になってくるわけです。
今でも、おんなじような髪型や化粧をしている若者が多くおりますが、それらの常識がこの時代を加速させないように祈るばかりであります。
今日はこのへんで。